シュラケット・ジョシュア
ウリベ・アレハンデゥロ
私たちの生命を維持するために植物や動物を、食料や衣服等として耕作するのは、農業である。それは世界史で人間の定住文明が進んだ一番大切理由となった。農業の発展は元々文化と気候によったものけれど、産業化が起こってから後の百年が生産の向上や技術と人間労働の代替や遺伝子操作や農薬や肥料を特徴づけている。この最後の世紀で、農業はいろいろな政治的や環境的な問題とつながっていて、その中に関税や補助金やバイオ燃料や保護政策や特許などの問題が含まれている。これらの開発の環境への影響に反動として、 それで最近 、オーガニックと持続的農業の運動が人気を集めている。
最近の開発の中には 最も物議を醸すのはもちろん遺伝子組み換えの 農業である。農作物の遺伝子工学は、成長率も様様な疾患に対する抵抗も増やすことができる。だから、世界の増加している人口に食料を提供するためのリソースを以前より使用して食料生産を増やすことができるということは、すごく良いことだろう。しかし、 倫理と安全性の懸念が提起されている。安全性の懸念とは、人間が遺伝子組み換え食品を食べることが健康に知られていないことである。またはその遺伝子組み換えものは環境をなんらかの影響を与える。倫理的な懸念はイデオロギーの問題や、食糧供給の企業統制や、知的財産に関する法律やなどを含めている。
この一般的の食物貿易の背景についてよく考えながら、一つの具体的な例を挙げたいと思う。生物多様性とアグロビジネスに対する問題に深い関係がある。90年代後期に、テキサス州のRiceTecという農業会社はインド国の伝統的なバスマティ米の多くの種類のゲノムの特許を所得し、国際市場に物価を上げるために、アメリカで植えたり、何世代も収穫したインド人の農業に禁止したりしてみた。米の特許ができると、収穫を産しても、もう一回植えることのできない稔の米を創造できて、インドの農業がアメリカの会社に依存して暮らす状態になる懸念もあっただろう。バスマティは、米穀の中で世界一高い種類なので、欧米のアグロビジネスの立場から見ると、自分の知的財産として確立できれば、有利な事業になるに違いない。
しかし、生物界は本当に所有出来るものか。穀物は発明として考えられるのか。インド人の文化的や農業的な遺産を盗む政策として批判の対象になってきたので、海賊的生物探査という造語を呼ばれるようになった。そういう遺伝子組み換え(GMO)に関する問題はアジアのことだけではなく、アメリカにも、Monsantoという農業会社がコーンや綿花の新しいオーガニック穀物を汚染できる種類を発明して、アグロビジネスの市場を操る方法の一つとして考えられているだろう。
タイトルでは、国際食物貿易を描写するため、一粒の米というメタファーを使用した。なぜかというと、世界化によって地球が一粒のように小さくなって、過去のいつでもよりも、食料が循環できるようになってきたからだ。一方、一個人の農業の手で、一粒の米は地方共同体の基本を構成できる能力があるだろう。やはり、そういうグローバル循環制度と共に、新しい道徳的な問題が起こった。グローバル社会や自由市場における「農業」というのはどういう意味だろうか。どのように農業共同体の人権や平等を守れるのか。世界を一粒として見ると、農業も倫理的や文化的な問題として考えるべきではないだろうか。
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